内科救急指定病院 医療法人 足利中央病院 栃木県足利市

トピックス

心臓シミュレーター

No.34 2015年 12月

まえがき

平成27年11月は政府の行政事業レビューで、政治家がレベルの低い質問をしているのを中継放送で知りました。なんで宇宙に日本人を送り出さなくちゃあならないのだ!というような科学的でない、予算削減のためだけの質問です。

先年、政府の行政刷新会議における「事業仕分け」においてスーパーコンピューター開発にかかわる「二位じゃだめなんでしょうか」という某女性議員の質問は有名になり、記憶に残っていますが、科学・技術に対する理解度には「不勉強な議員」と研究・開発者の間に大きな温度差があるようです。

スーパーコンピューターについて

過去にスーパーコンピューター業界において日本が世界チャンピオンであった時期(例えば地球シミュレーター)もありましたが、進歩のスピードが速く、計算速度の10倍の改善に5-6年の期間しかかかっていません。常に世界一を追求していないと、たちまち世界に後れを取ってしまいます。

富士通で開発した10ペタFLOPS(Floating point number Operations Per Second: 毎秒1回の浮動小数点数演算ができることを示す処理速度の指標)スーパーコンピューターの実用性をアプリケーション(ユーザ)と協調開発することにより研究分野でも実用分野でも世界トップレベルを達成しようとしています。10ペタは10の16乗であり日本語単位では「兆」の上の「京 けい」なので、「京」スーパーコンピューターと名づけました。平成22年10月に稼働を開始して(構築に1000億円強の費用がかかりました)から5年を経過して、多くの科学技術の研究に役立ってきました。今後も防災、ゲノム解析、宇宙、創薬、ナノテクノロジー研究などに役立っていくでしょう。コンピューターそのものの処理速度は順位を付けやすい指標ですが、医療、防災など、いかに人類に役立つ応用を開発するかという応用の分野も重要です。

「京」の威力を分かりやすく説明すると、二桁どうしの掛け算を5秒に一回できるひとが、24時間休まずに計算しつづけるとして、1年(8760時間)では6.3百万回の計算をずることができます。「京」と同等の計算をこの人がすると仮定すると10ペタ回ということは約16億年かかるということです。

心臓医療での適用例

ヒトの心臓の動きを精密にシミュレートする研究が進んでいます。この5年間心臓研究の医師とスーパーコンピューターの応用のアレンジをしている富士通技術者を追って心臓シミュレーターを調査してきたので、概要を報告します。

2015年6月には心臓の動きを精密に可視化(3Dグラフィックス)したことで、受賞しました。 (シミュレーター:現実の物や現象を実現することが困難な場合に仮想的なモデルを作って模擬的に実行する方法)

シミュレーション

高度に進化したスーパーコンピューターならではの研究分野が心臓シミュレーションです。心臓は人間の臓器の中では突出してダイナミックな運動をしていて、一回の拍動でおよそコーヒーカップ一杯分の血液を送り出し、一日にタンクローリー一台分、80年間にタンカー一隻分の血液を循環させています。

心臓は約60億個の細胞でできており、その力学的現象、生化学反応、および電気的現象を細胞的ミクロレベルで解析することはスーパーコンピューターでなければ不可能です。人の心臓がパクパクと袋をすぼめるように血液を送り出すのではなく、雑巾を絞るような心筋の動作をしていることがわかりました。心電図やMRIの画像から逆に細胞レベルまで掘り下げて心臓の動きを模擬して、心臓の手術の術前検討ができるようになりました。

一回の費用が300万円ほどかかるそうで、これは重粒子線治療と同じレベルです。技術進歩が速く、計算能力が10年で100倍程度に上がっているので、2035年にはスマホほどの大きさの装置で現在のスーパーコンピューター並みの仕事ができるのではないかと、という期待をしています。ゴマ粒より小さな体内埋め込みコンピューターもできるでしょう。

カテーテル・アブレージョン手術において、心臓内壁のどの信号伝達網を焼いたらよいかシミュレーションできます。バチスタ手術では心筋のどの部分をどれだけ切除すればよいかシミュレーションできます。拍出血液量と血圧を計算してグラフ化し、データを比較することにより最適手術法をきめることができます。全面的にグラフィック技術と経験に基づいていた今までの手術に比べて確実な成果を期待することができます。

重度の不整脈では、ときには公共施設や企業内各所に備え付けのAEDを使って応急処置をしたのでは間に合わないことがあります。「埋め込みAED」(Inplantable Cardioverter Defibrillator:ICD)は効果的なデバイスではありますが、電気ショックの強さ(たとえば10 Joule)は患者には大きな苦痛になり得ます。そこで、最小の電気ショックエネルギーで心拍同期回復を図るシミュレーションにより、苦痛を軽減した埋め込みAEDを実用できます。

医療領域のみならず、製鉄プラント、全地球規模の高精度の気候シミュレーション(例えば気候変動のグローバルかつ局所変動)などスーパーコンピューターの利用領域は無限にひろがりつつあります。津波については、日本の主要部の土地形状とビル群の構成から津波の威力を計算して被害の低減に努めなければなりません。今までは到達時刻と波高の推測で精一杯でしたが、東京湾のなかで、および東京都心部の地上でどのような水勢になるかということになると「京」スーパーコンピューターが必須になります。津波のシミュレーションを各地の地形に応じて用意しておけば、被害を最小にとどめることが可能になります。

スーパーコンピューターの開発は国家の注力分野ですが、従来の情報処理技術のハードウェア寄りの志向からユーザーとの協調による大規模アプリケーション開発にも均等な軸足をかけたバランスのとれた開発に変わってきています。人類への貢献は計り知れません。


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